腹十六分目
何よりも米を愛すおいらが思いつくまま書き綴るメニュー。今宵は何を料理する?
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ニッポンの夜明けザルッ!Ⅲ
ちいちい気取り
●市場の空気が好きだ●

高知で爆睡し、起きてすぐに日曜市に行った。なんと、元禄3年から300年以上続く市だそう。日曜開催となったのは明治からで、全国でも珍しい終日オープンスタイル。高知城下の大通り、約1.3kmにわたり、500店近くが軒を連ねる光景は活気に満ちている。さて、何を朝飯にすっかなーと歩いていたら、色とりどりの寿司が目に入った。へぇ、野菜が握られているわ。これ、田舎寿司という。

田舎寿司

売り手であり、作り手でもある地元のおばちゃんに聞くと、みょうがや竹の子、コンニャクなどで握る高知の郷土料理だという。透明感のある緑色はウリか何かと思っていたら「りゅうきゅう」と呼ばれる、高知県ではポピュラーな野菜で、正式には蓮芋の茎の部分なんだって。たけのこの握りが絶品だと相方。素朴で、ほっこりした朝食でした。

そしていよいよ、桂浜ぜよ!美しさもさることながら、驚いたのは波の荒さ。サンダルに入ってくる砂の暑さに耐えながら、冷たい水を目指して波打ち際までたどり着いたものの

スーーー…ザバザバザバザッバ~ン!!

太平洋凄っ!メロドラマのように、手を取り合ってキャハハハハハ、なんてできないね、こりゃ。

ニッポンのっ!
●ここに龍馬も立ったはずだ、と幕末の志士気取りで仁王立ちの相方●

そんな桂浜を見下ろすように建っているのが、高知県立坂本龍馬記念館。展示品の多くは複製ながら、迫力十分だ。特に書簡を前にすると、時代の雰囲気や書き手たちの個性が見えるような気がしてくる。例えば、武市瑞山が切腹する前日に、最愛の妻、富に宛てた手紙。整った文字でびっしりと埋められており、胸に迫るものがあった。一方、龍馬の手紙は奔放さが窺える。「日本を今一度せんたくいたし申候」の「せんたく」という文字やの伸びやかなこと。

館を出て、イカの串焼きに食らいつく。柔らかくてうまい。もっと食べたいが、小腹を満たす程度に抑えておく。なんとしても、讃岐うどんを最低2軒は食べたかったのだ。というわけで、香川県へ移動する。

帰りのルートも考慮して選んだ店は、「長田in香の香」と「わら家」。どちらも釜揚げうどんの有名店で、東のわら家、西の長田と言われたこともあったとか。膨大なうどん屋リストの中から適当に見つけただけで、並んで称されていたとは知らなんだ。ちなみに「長田in香の香」は2006年に公開されたユースケサンタマリア主演の「UDON」にもチラッと出てくる。

【UDON】
芸人として芽が出ない製麺所の倅と、極度の方向音痴のタウン誌編集者の女性が巻き起こす、うどんブームを描いた作品。

どちらの店でも釜揚げを注文。「長田in香の香」はどんぶりにし、「わら家」は桶で頼んだ。

わら家

風味といい、舌触りといい、歯ごたえといい、釜揚げ万歳!加えて、いりこ出汁に脱帽!西日本で、出汁といえば「いりこ」なんだね、知らなんだ。机上のとっくりから自分で注ぐ、その濃厚な味とシャープな香り。うどんよりも印象に残ったくらい。それにしても、めんの長いこと!がっついて無計画につゆの椀に放り込むと、いつまでも麺が途切れないもんで、しまいに溢れてしまう。

長田

腹も膨れ、日も暮れてきた。さて、けえるか。高松自動車道に乗り、津田の松原SAで夕暮れ時の瀬戸内海を堪能するところから、SA巡礼が始まる。行きは中央、帰りは東名を進み、浜名湖SAで朝日を浴び、富士川SAに寄った。ここは、静岡と山梨を結ぶ県道10号線の道の駅「富士川楽座(ふじかわらくざ)」と接合しており、上り線(東京方面)のみ、道の駅の5階建施設に、3階部分から入ることができる。4階の展望ラウンジに上ったものの曇っており、富士山は山頂近くのコブがなんとか確認できただけ。

富士山が見えない

けど、星を見ることができた。同じ階に、なんとプラネタリウムがあったのだ。さっすが、日本一の集客数を誇る道の駅だけはある。プラネタリウムクリエイターの大平貴之氏が開発したメガスターを、まさかSAで体験するとは思わなかった。

ということで。
星のように、“瞬く”間に終わってしまった旅の思い出でした。
お後がよろしいようで…。
ニッポンの夜明けザルッ!Ⅱ
高知駅周辺
●高知駅前通り●

旅はまだまだ続くぜよ。
金曜の午後出て、月曜の午後帰ってきたので、普通は3泊4日となるのだろうけど、「仮眠で乗り切れ!1泊4日ツアー」というギャルは絶対飛びつかないプランとなった今回の旅。その1泊は、高知駅前にあるビジネスホテルの一室で、相方が携帯サイトで偶然空きを見つけたもの。

眺めが悪い、という理由で破格の部屋だったが、大通りから少し入ったところにあるそのホテルは、精一杯の表現をすれば、“庶民的な宿泊施設”。周囲の環境や外観から察するところ、どの部屋も眺めが悪そうだ。いずれにしても、脚を伸ばして寝られりゃ結構。荷物を置いて、夕方から高知の中心地を散策。路面電話が走る街並みは風情があり、その姿を見ると、シャッターを切らずにはいられない。「そらまた始まった」と諦め顔の相方。

さて、高知の街のあちらこちらには、坂本龍馬をはじめ、武市瑞山、後藤象二郎、板垣退助、中江兆民など、幕末に活躍した人々ゆかりの場所があり、徒歩や路面電車で巡ることができる。歴史好き、散歩好きにはたまらない街だ。ただし、強行軍の我々にはあまり時間がなく、なにはともあれ高知城を目指す。

高知城

天守閣への入場は、普段16時半まで。ただし、よさこい祭りとお盆期間中ということで、17時半まで延長されていたので助かった。ギリギリ入り、高知の街を見下ろす。

殿かっ

すると、踊りながら道をゆく集団を発見。どうやら、よさこい祭りのリハーサルをしているようだ。城を下りると、城下の公園に集結し、本格的に練習を始めている。ひたむきな姿に思わず足を止め、魅入った。

青春やねぇ

「第57回よさこい祭り」は、我々が滞在した2日後の8月9日から12日まで開催された。市内17ヶ所の競演場・演舞場で、総勢2万人近くが華やかな衣装に身を包み、鳴子の音を響かせて踊るというこの祭り。今回は日程が合わなかったが、一度見てみたいものだ。

公園を出てウロウロ。見つけたぞ、「武市瑞山殉職之地跡」。「龍馬伝」で、大森南朗扮する武市先生が腹を3回切るシーンが印象に残っていたが、本当に、三文字割腹という方法で切腹していたとは。こんなにも城の近くだったとは。天守閣を仰ぎながら死んでいったのだろうか。どんな思いだったのだろうか。

そんなことを思いながら、次に龍馬誕生の地を目指す。道中、「ごめん」と表示された路面電車発見。なに?一体何を謝ってるの?

謝罪電車

後日調べてわかったなり。「後免」という地名なんだって。そりゃ目星は付くものの、初めて目に入ったときは、その違和感にほれぼれしたものさ。


龍馬は城下町で生まれ育ったとはいえ、誕生の地までは結構歩く。ようやく着いたものの、やはりここも石碑だけ。高知の歴史散策はだいたいこんな感じらしい。テーマパークのような装飾・演出がない分、想像力がない人は厳しいだろうな。

早朝から動きまわり、さすがにクタクタ。繁華街へ戻るのに、路面電車に乗る。運悪く、雰囲気のない新型車両が来た。ええい、待つのも面倒だと乗りこむ。

風情なし

幾つか目の停留所で扉が開くと、母親と少年の姿が。しかし少年は首を振り、乗ろうとしない。彼の鉄男としてのポリシーに反するデザインだからだろう、と勝手に鉄道好き少年と決めつけ、一人納得していたが、「単に行き先が違ってたんじゃないの?」と相方に一蹴される。

はりまや橋で下りて、かんざし…は買わなかったが、腹が減った。ホテルでもらったグルメマップ片手に店を回る。しかし、うまそうで、雰囲気がよさそうで、価格も手ごろそうな店はどこも、満員御礼。すきっ腹を抱えて高知の街をさまよい高知駅まで来てしもた。

もう、なんでもいいから
食わせろぉぉぉ!


となっていた我々は、駅構内の庄屋の明かりに吸い寄せられ、白旗を上げた。観光地に来てチェーン店とはトホホな話だが、フッツーにうまかった。塩タタキもあったし。寿司屋や料亭に行くセレブな分際でもあるまいし、酒もまわって充分じゅうぶん。その後、ボロ雑巾のように眠ったとさ。

翌日は、高知名物日曜市を見てから桂浜へ行くのだけれど、それはまた、次回ぜよ!
(高知の人、誰もぜよっていわないぜよ!)

はりまや橋にて
●三大がっかり名所のひとつ、はりまや橋にて。別にがっかりしなかったなり●
ニッポンの夜明けザルッ!

●遠くに見えるは明石大橋ぜよ●


「龍馬伝」で刺激を受け、幕末好きということもあり、
高知行くぜよっ!ということに。土日1000を利用して、車で四国参りでございます。

金曜午後に出発。圏央道から上に乗り、サービスエリアで休み休み南下してゆく。日付が変わってから下に降りないと、割引にならないので、焦ることはない。

途中、岐阜県の土岐のあたりで豪雨に見舞われた。土岐といえば。

『時は今 天が下知る 五月哉』
(ときはいま あめがしたしる さつきかな)
by明智光秀

で、「時=土岐」と解釈される場所としてお馴染み。

そんな光秀さんのルーツ、土岐一族発祥の地では、雨は滴るどころか滝のよう。ザッザッザッザッ!車内に緊張が走るなか、ワイパーの音だけが怖いくらいに響いてた。

明石海峡大橋に到着したのは、土曜の早朝。そこから淡路島を通り、鳴門海峡を渡れば、そこは四国。生まれて初めての入国に舞いあがった相方が叫んだ。

「四国っ入りましたっ!
 ニッポンの夜明けザルッ!」


は?ザル?ぜよじゃなくて猿?

ほとんど寝ないで運転だもの、
滑舌悪くもなりますよ。
byみつを



●大鳴門橋から淡路島方面を見る●

この鳴門海峡の上を歩けるって知ってた?我らが渡った大鳴門橋は、上に車道が走り、下は一部、遊歩道が開設されている吊り橋なのだ。周囲は壁に覆われているものの、海から45mの高さを歩くのは高所恐怖症気味の人間にとっては、なかなか勇気のいること。床のところどころに強化ガラスがはめこんであり、そこから鳴門の渦潮が見えるのだが、終ぞその上に立つことはできんかった。



日と時間帯によって、大・中・小と見える渦の規模が違う。我らが見たのは干潮で中渦だった。上からでも十分楽しめるけれど、観潮船に乗れば間近で見る事ができて、さぞ迫力満点だろうね。見てると気持ち良さそう。けど、ビッグな渦を求めて海上を縦横無人に走り回り、出来たばかりの小さな渦を潰しちまったときは笑えた。おいおい、もう少し謙虚になれよ。




さて、徳島でうまいものってなんだろう。街中には金時芋の文字が躍る。さっそく、金時ジェラートを頼む相方。
我輩はというと、無駄な好奇心が邪魔をしてワカメ(これも名産)ソフトクリームなるものを注文。大失敗。



想像してごらん。
磯臭いソフトクリームを。
byジョン・レノン

現地に行く前からリサーチしていたのは徳島ラーメン。スープに甘みがあり、ごはんのおかずという位置づけなのでライスを付けるのが定番だという。米と麺!なんと素敵な炭水化物ライフを楽しむ県民なのだろう!

行ってきたのは「王将」という有名店。小ぶりのラーメンを出すところが多いなか(あくまでおかずだから)ボリューミーなチャーシュー麺を出すことで知られている。値段もなんと、650円。思っていたほど大盛りではなかったのに(あくまで我輩の基準)様子見でライス頼まんかったのがちょいと悔やまれる。地元の人がひっきりなしに入ってくるいいお店でした。




腹が膨れた後は、でっかい壺や甕で有名な鳴門市の伝統工芸、大谷焼の窯元へ。自宅用に大きめの平皿を2枚買う。
定価は一枚2100円だが、なんと500円。店の人が言うには、ちょいと中央が盛り上がっているから難あり商品として販売してるんだって。我輩の好きな益子焼のようにぼってりとした素朴な色合いが素晴らしい。価格にもニンマリ。帰ってカレーをよそってみたけどまったく問題、遜色ございません。


●誰も入ってこないんで、撮影しちまう●

その後、阿波市に移動して御所温泉観光ホテルへ。…といっても泊まるわけではないぜよ。日帰り温泉だす。ダム湖のほとりで露天風呂を満喫。男子は数人利用客がいたそうだが女子は一人も入って来ず。思いがけない貸し切り状態に万歳していると、露天の隅に、とぐろを巻いている清掃用のホースを発見。暑がりで長湯ができない我輩の目が輝く。蛇口をひねり、水を頭からかぶっては露天に入るを繰り返し、勝手気ままに堪能させていただきました。もちろん、きちんととぐろは巻き直しましたよ。いやー気持ちよかった。


●懐かしのケロヨン桶にも癒される●

長くなってしまったね。この後高知城に行くのですが、それはまた、次回に持ち越します!


↓ちなみに、土佐弁に変換するとこうなった

長くなってしもうたね。この後高知城に行くのやけど、ほりゃあまた、次回に持ち越するがで!
軽井沢土産は200円也
眩いぜ

シルバーウィークは
避暑地・軽井沢でテニス合宿。
暑さを避けるどころか
熱く燃え上がって参りました。

テニスの話をすると、
「おまえが!?似合わね~」
と言われることはさて置き
「優雅でいいね」
と言われることが多い。

貴族の遊戯として定着した
歴史からくるイメージか
皇室の人々の
スコート姿を想像するからか。

ちなみにあれは、
細身の人間にしか許されない。
我輩が着たら、ほとんど犯罪に近い。
大抵の人がジャージ姿だ。
用具や専用コートが必要なのは、
野球やサッカーも同じ。
ゴルフやスキューバダイビングの方が
よほど金がかかる。
現に、甲斐性なしの我輩でもできる。

貸別荘を借りて自炊し、
カラーコーンを置いて
目的別練習メニューを
こなしていった今回の合宿。
ちっとも優雅でもリッチでもない。

軽井沢の別荘で、ご友人たちと
テニスをなさるコメ助さま
は、どこにもいらっしゃらない。
(ま、想像するだけ気色悪いが)

さて、中日はバーベキューを楽しむ。
農園直売所で仕入れた
ズッキーニや米茄子の旨いこと!
お土産にしようと、翌最終日再び訪れる。

直売所

残念ながら緑のズッキーニはなかったが、巨大な黄色いズッキーニが並んでおり、味は変わらないという。
丸々とした米茄子も残っていた。
なんと、一本(個)50円。
オーワンダホー、マーヴェラス!
というわけで、合宿から帰った翌日
早速焼いてみました。

でかいぜ

あまりに巨大なため、
オリーブオイルで焼いた、
ガーリックペッパー味と
バター醤油味の2種類が完成。
晩飯の一品のはずが、
完全に酒の肴になってもうた。

お土産は自宅用に
ズッキーニと米茄子だけ。
既消化済也。

酒の友
長崎は、寒かった。
島原城
島原城の周辺は桜が満開

まだ、家のなかでダウン来てる我輩。セーターも大活躍してるし。3月の終わりに行った長崎では桜が満開。でも、フッツーに寒かった。。。

訪れたのは、雲仙岳災害記念館。
火砕流に飲み込まれた撮影機材を取材してきました。

島原鉄道
諫早から島原までローカル線で海岸沿いを行く

雲仙岳って、三峰五岳からなる山体の総称なんだよね。
有名なのは普賢岳だけど、最も高いのは平成新山。
この山、1990年から96年に渡って起きた
「平成大噴火」によって作られたんだって。
当時のニュース映像を覚えている人も多いと思う。
火砕流がすぐ後ろまで迫っているなか、
走る消防団員の姿が印象的だったよね。
“火砕流”という言葉が全国に知れ渡るきっかけにもなった。

最も人的被害を出したのが、
1991年6月3日午後4時8分に発生した大火砕流。
報道関係者20人を含む計43人の方が犠牲となった。
このなかには、報道関係者がチャーターした
タクシーの運転手さんも巻き込まれている。

記念館に向かうタクシーのなかで聞いた
運転手さんの話が印象的だったな。

「当時は報道の人たちを乗せて、
毎日のように登りましたよ。
でもあの日はたまたま、
有明海をはさんで向かいにある熊本へ、
観光ハイヤーで呼ばれて行きました。
ふと普賢岳を見ると、黒煙が上がり
こちらにまで火山灰が飛んでくるじゃないですか。
慌てて自宅に電話するんですが、
回線がパンクして繋がらないんです。
足が震えましたね。
幸い、家は無事でした」

記念館前の雲仙岳
雲仙岳災害記念館は、雲仙岳の麓にある

取材に行く前に、NHKのカメラマンだった矢内万喜男さん(享年31歳)の奥様が書かれた手記を読んでいったのだけど、
館内で、矢内さんが使っていたカメラに遭遇。
まさか出会えると思っていなかったので、
ものすごくびっくりした。
そして、その無惨な姿を目の当たりにして
ショックを受けた。
テープとバッテリーの入る本体の後ろ半分が、
スパッと切り取られたようにないのだ。

「NNNドキュメント378秒の遺言」
というタイトルで放映された、
被災直前の映像を撮ったことで知られる
日本テレビのカメラマン小林幸司さん(享年26歳)。
小林さんの使っていたカーボン三脚の脚は、まるで糸。
房のように絡んでいる姿が、凄まじさを物語る。

火砕流の中には、
岩の塊や火山灰などが含まれているけれど、
なんといってもダメージの大きいのは、高温のガス。
火砕流の先頭部分を「火砕サージ」というのだけれど、
多くの命を奪ったのは、この熱風なんだって。
その速度は100kmを超え、
最も熱い部分で800℃にもなる。
そこに人が居合わせたという凄まじい真実を、
残存物が伝えているようだった。

でも、震災記念館は
火山の怖さだけを伝えているわけじゃない。
火山をもっとよく知ってもらおうと、
子ども向けのユニークなイベントも開催してる。
例えば、身近な火山をキッチンで再現してみよう
という「キッチン火山実験講座!」。
プリンから、溶岩に見たてたソースが噴火。
シロップなら、サラサラと流れ、
粘度のあるチョコレートなら溶岩ドームができる
といったことを、理解させるんだって。

圧巻は平成大噴火シアター。
大型スクリーンで繰り広げられる
迫力ある映像と音に合わせ、振動する足元。
まるで、自分が猛烈な勢いで流れ下る
火砕流や土石流の一部になったかのような
錯覚を覚える。
ナレーションは、古谷一行。
へぇ、結構お金かけてるなぁ。

温泉、豊かな農作物、おいしい湧水…etc.
溶岩や火山灰が何万年もかけて作り上げた大地は
噴火がなけりゃ、人間にとっていいことづくめ。
火山大国ニッポンに生まれたからには
火山と上手に付き合う方法を
学ばないといけないのかもね。

ばってんナス
熊本産の生で食す茄子「ばってんナス」。
食感はナス、味は梨のように甘い。
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